戦前のようなあっという間の結婚式

出会い

 結婚紹介所にもいろんな事、事情があります。結婚出来そうな人から紹介する。紹介所の人気をあげるため、訳ありの可愛い女性の写真を載せておく。女性の記載欄には趣味として必ずと言っていいほど料理が好きだと書き、結婚相手には美味しいものを食べさてあげたいと書いてあります。

 本当でしょうか?まずウソだと思って良いでしょう。紹介所から言われてそう書いたのでしょう。
ほとんどの女性が料理が好きだとか得意だとか書いてあります。料理はそんなに簡単に上手くならない、主婦は忙しいからみんな我流です。そうやって経験を積んでいくのです。

結婚紹介所の闇

私は○○○○になった頃、結婚紹介所を探していろんなところに入会したのですが、障害者ということもあって、こちらから申し込んでも断られるケースがほとんどでした。

ある時結婚紹介所の実態が分かりました。サクラが入っていたり、ヨーロッパ系の女性が中国人であると名乗っていたりして、これは怪しいと思い申し込んでいたのですが、それを辞退しようすると「もし相手が断らない限り貴方からキャンセル料50万請求します」というメールが来ていました。

通常ならキャンセル料は10万です。怖い話です。サクラについてはお見合い女性の写真に見覚えのある顔があると感じました。

何処かでみた。人には言えないですが、何回かやり取りして出会い系のlineで繋がっていた女性です。確かお金をどこかに振り込んでくださいと言われて無視しました。そのうち退出(存在が消えた)してしまいました。

この女性はサクラであると結婚紹介所に通報すると逆に「その子は人気№1だから消せない。証拠はあるのか」と居直られました。結婚紹介所の闇を感じました。

1人の救世主?紹介所の本部長が来訪

悩みました。誰一人相手はいないのか?ある時インターネットを検索しているとある結婚紹介所のHPが紹介してありました。結婚の難しい人、40代や50代以降の人達及び職業が農業や漁業等の生活が安定していない人にたいして主として

東南アジア諸国(フィリピン人やタイ人等、その当時は経済があまり発展してない物価が割安な国)の女性を紹介していると書いてありました。これは良いかもしれませが、国際結婚は何百万も費用がかかります。

あまり期待せずに事情を書いてメールを送りました。そうすると5月20日頃に本部長という方からTELがありました。私の事情を話して「了解しました。直ぐに自宅に行きます。」といわれました。正直いって驚きました。普通は私から出向いて行かないといけないのに向こう人がわざわざ自宅まで来てくれるのです。

超速攻の段取り

本部長が本当に自宅を訪問されて、母と私の2人で話を聞きました。日本人同士の結婚の紹介もしているが、結婚の難しい人も外国人(特にフィリピン人を薦めてくれました。フィリピンは物価が安くフィリピン女性は年上の男性でも気にしないそうです。今まで結婚した人の話もしてくれました)

何日か経過して見合い写真をもらい、私が了承しました。年齢は28歳、25歳離れています。結婚紹介所に向かい、TV電話で話をしました。1度会ってみたいと思って距離は遠いと思いましたが、フィリピンに行くことにしました。

令和元年6月16日~20日と7月8日~12日まで2回に分けてホテルに滞在して観光旅行する予定表が紹介所の担当者より渡してもらった覚えがあります。結婚紹介所に騙されるかもしれないと気がしながらも350万近く銀行振込しました。

銀行の受付の女性は何に使うのと質問されてきました。私はよく覚えていませんが事情を正直に話しをしました。そうすると上司に相談に行き,黙って振り込みの手続きをしてくれました。紹介所の社長が同行してもいました。

行き帰りは中部国際空港を使ったのですが、行き時はとても長い距離を歩いたような気がします。歩いて歩いてもまだ入口に着かないのかと行くだけで疲れてしまいそうでした。

フィリピン航空で直交便がないためマニラ空港経由でダヴァオ行きに搭乗しました。マニラ空港が治安が悪いせいか警備が厳しく、金属探知機を通過する時にベルト、腕時計を脱いで水の入ったペットボトルを捨てなければ通過出来ませんでした。

以前、ペットボトルを爆弾代わりにしてテロが起きたそうです。マニラ空港も広かったですね。
夕方ダヴァオに着きました。相手の女性も迎えてにくてくれていました。もう一人、年を取った女性が同伴者と居て髪が長いややほっそりした若い女性でした。早速豪華なホテルへ向かいました。

警戒は厳重でホテルの入口付近には体格がガッチリした警備員が2人いました。ホテルに入る時に再び、金属探知機検査です。今度は水の入ったペットボトルは捨てなくてもいいそうです。空港の時よりは検査が緩いみたいですね。

ホテルに入りエレベーターに乗った時は部屋の鍵を当てないと動かいそうです。これもテロ対策ですかね。少し怖い感じがしました。部屋に入ると向こう側がほとんどガラス一面でした。

TV番組をみると英語ばかりです。何を言っているのかサッパリ分かりません。しかしながら、チャンネルを押していくと日本の純愛もののドラマが入っています。フィリピンにいた時はこればかり観ていました。夕食はホテルの近くに和食店があったのでそこに食べに行きました。

1回会ってもう結婚届出

戦前は親が相手を決めて会うのは結婚式の当日で顔も知らない人だったという話を聞いた事があります。私もそれに近い状況でした。TV画面や写真で相手を決めただけで性格やフィリピン人の考え方や習慣、国民性を考えないで決めてしまいました。

後で戸惑うのですが…彼女も現在はどう思っているかは分かりませんが?それはお互い様かもしれませんね。これは偽装結婚ではありません。

私の大学時代(30年以上前、バブル期の頃)にアルバイトで旅館に通っていました。偽装で結婚していたかどうかは分かりませんが、そこにいたフィリピン人の女性を風俗まがいの事で働かせ貧しい食事と住まいを与えていたと本人達から知りました。賃金も時給は200円~300円だったと覚えています。

6か月毎に国に帰らないといけませんと明るい笑顔で言っていました。それが自分の身にも起こるなんて夢にも思いませんでした。B型の就労支援事業所の時給はそんなものです。(その時は不動産で賃貸収入と障害者年金と合計でサラリーマンの年収くらいでした)

話は戻って1回目にフィリピンに行った時、翌日に国際結婚した時に必要になる質問書を作成するために聞き取り調査をしました。次にダヴァオ日本総領事館に2人で行き、戸籍謄本を提出して婚姻要件具備証明書の申請をしました。

18日に婚姻要件具備証明書を受理してその日にダヴァオ市役所に向かい結婚許可書を申請しました。
その受理は彼女だけで大丈夫という事で6月20日に一旦、日本に帰国しました。

超スピード婚

知り合ってから1ヶ月半ほどの結婚です。俗にいうスピード婚です。まるで戦前の結婚のようだと感じました。これで良かったかもしれません。自分の方から女性に対して積極的に話しかけるタイプでは無かったし、50過ぎて独身である事は親にも心配しているのではないかと思ったからです。

2019年7月9日に結婚式を挙げました。同席していた方は向こうの親族関係・友人関係のみで私の知り合いは両親も含めて一人もいませんでした。なぜなら招待する費用がもったいないからです。後になって妻の母と私の母がlineの電話で挨拶をしましたが。

結婚式の後、船でビーチリゾートに行きコテージに宿泊しました。ハエが多かったのはよく覚えています。7月12日に日本に帰国しました。